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人と土地に出会い、豊かさを見つめなおす九州旅・宮崎日南編。「地域のためにがんばる」のではなく、「目の前のことをがんばる」ことが、地域のためになる。
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みなさん、こんにちは。「ないなら、つくる」をコンセプトに、あったらいいなと思う働き方をつくるmeguriという会社を経営している杉本綾弓(すぎもと・あゆみ)です。新型コロナウイルス流行を「自分の生き方を見直す機会」ととらえ、九州各地を娘と旅しながら土地や人の魅力に触れ、「本当の豊かさとは何か」を見つめ直しています。
福岡・門司港、熊本・南阿蘇村、大分・佐伯に続き、宮崎・日南(にちなん)にやってきました! 日南市は宮崎県南部に位置し、気候は温暖。ヤシ科の樹木、フェニックスが立ち並ぶ風景など、南国の空気があります。
お会いしたのは、この連載史上もっともキャラが濃いお二人。一人は「日本一クレイジーな農家」たいぴーさんこと渡邉 泰典(わたなべ・たいすけ)さん。2015年に中央大学を中退し、所持金20万円を握りしめ日南市北郷町でいちご農家になったそうです。もう一人は、グラビアアイドルから転身し日南酒造会館の看板娘になった「焼酎のチューさん。」です。そんなお二人に、日南移住のいきさつや、今、全力で取り組んでいることをうかがいました。
渡邉泰典(わたなべ・たいすけ 通称たいぴー)
1992年生まれ、東京育ち。在学中に自転車で九州一周している際に宮崎県日南市北郷町に立ち寄る。この地での出会いがきっかけとなり中央大学理工学部を中退し、2015年宮崎県日南市北郷町に移住。家なし、金なし、学歴なし。そこから1年間のいちご栽培の修行を経て2016年3月に独立。2020年からは「いちごがり写真館 くらうんふぁーむ」として思い出づくりのための観光農園をオープン。
焼酎のチューさん。
出身:宮崎県日南市出身
好きな飲み物:焼チュー
趣味:焼チューの美味しい飲み方を見つけること
※取材当時(2020年10月)の情報です。現在は、「丸被利ゆうこ」として【被り物 &コスプレ】で日南市の様々な観光地や飲食店、企業のキャラクターに変身しPR活動をされています。
農業サークルに入部、移住、交際0日婚…たいぴーさんが日南に住むまで
杉本 まずは、日南に住みはじめたいきさつを教えて下さい。
たいぴーさん 出身は東京です。農業サークルをきっかけに農業がしたくなって中央大学を中退して、6年前に日南に来ました。1年間の農業修行をして独立し、今はいちごを中心に農家をしています。妻の茜ちゃんは漫画を描いたりウェブサイトを作成したりしています。
杉本 なぜ農業をやろうと思ったんですか?
たいぴーさん 大学が理工学部で男ばかりなので、他大の人とも交流したいとインカレサークルを探していたらeat happyという団体がヒットして。「うまいもの食える!」と思ったら、実は学生の農業体験を斡旋するサークルだったんです。
杉本 ちなみに、妻・茜さんの4コマ漫画で「交際0日婚だった」とあったのですが本当ですか?
漫画「宮崎に移住した農家の嫁日記」【第2話】交際ゼロ日婚https://agri.mynavi.jp/2018_04_02_23662/
たいぴーさん そうですね。宮崎に移住すると決めたのが21歳だったんですが、「結婚相手は20歳までに知り合っている確率が80%」と聞いて。ということは、もう出会っているんじゃないか?と思ったときにパッと「茜ちゃんだ!」と。彼女も食に関する学生団体の代表をしていて、知り合いではあったんです。で、はじめて二人で会って、「3日後に宮崎移住するから2年後に結婚しよう」と。
杉本 いきなりですか!
たいぴー さすがにポカンとしていましたね。僕はアイディア出しと話すのが得意。一方で、彼女はデザインとか形に落とし込むのが得意。それで「この子しかいない!」と。そしたら本当に彼女が2年後に日南に来たんですよ。
杉本 お二人とも直感的ですね。話を戻すと、たいぴーさんがそもそも、宮崎に移住しようと決めたのはなぜですか?
たいぴーさん eat happyの代表をしていたので、ファームステイ先を探しながら自転車で九州一周旅をしていたんですが、大学3年生の夏にたまたま日南に来たんですね。日南のグリーン・ツーリズムの代表の方に「学生を連れてきたい」と話したらその場で決まり、半年後に東京から学生50人を連れてファームステイをさせてもらって。
そのときに地元の人や役場の人を知って「この人たちと同じ地域で一緒に生きたい!だから、ここに住む」と決めたんです。
杉本 日南のどのあたりにピンときたんですか?
たいぴーさん 勝手に「呼ばれている」と思いました。自分は東京とのパイプをもっているけど、地域の人はそのノウハウやつながりがない。僕がいることで地域の魅力をもっと出せると。宮崎にした理由はもう一つあって、「なかなか帰れない」こと。宮崎だったら東京まで飛行機で3万円以上かかるので。
杉本 追い込み型なんですね。
たいぴーさん そうですね。「移住して農業する!」と決めた理由は「失敗したい」という気持ちが根底にあります。これまで挫折というのがなかったんですね。成功談ってみんなどこかで失敗しているじゃないですか。それで「泥水すすりてぇ!」と。でもこっち来てもなんだかんだうまくいっているので、まだ追い込みが足りないですね。
たいぴーさん流「地域への入り方」のコツは「喜ばせること」。
杉本 地元の方々は、たいぴーさんをどのように受け入れてくれたんでしょうか?
たいぴーさん やっぱり敵も味方も多くなりますよね。いろんなことに挑戦しながら農業を深めていきたいと思っているんですが、「一途に一つのことをがんばるべき」と思っている人からはあまりよく思われない。ただ、地元のおじいちゃんおばあちゃんからの評判はいいと思っています。
杉本 なにかコツはあったんですか?
たいぴーさん 移住して3年くらい意識していたのは、現地の言葉を覚えることですね。地元の人と毎日話しまくって、方言を習得すると一気に距離がちぢまります。あと「あげる」ってくれるものは全部もらう!そしたら冷蔵庫が3つになりました(笑)
杉本 戦略があるんですね!
たいぴーさん 地域の入り方は自信があります。あとは大道芸もいいですよ。敬老会で人気者になれます。
ロリータファッションを買うために上京。パート、革職人、グラドルを経て、日南で「焼酎のチューさん」に!
杉本 たいぴーさんの話もまだまだ聞きたいのですが…チューさん。の自己紹介をお願いできますか。
チューさん。 はい。出身は宮崎市内で、高2で日南高校に転校しました。ロリータファッションを買いに原宿に行くのが夢だったので、高校卒業してすぐにお財布だけもって東京に行って。帰りたくなくてそのまま家を借りました。最初のバイトは「とりあえず食いっぱぐれないだろう」とスーパーのお惣菜コーナーで働いていたんですが、手が器用なことに気づいた知人が、「高級ブランドのトランクケースに家紋を入れるバイトしない?」と誘ってくれて。「バイトだったらいいか」とやってみたら上手にできたので、10年くらいお直しの仕事をしていました。
杉本 そこから、どうしてグラビアへ?
チューさん。 趣味で一人カラオケをしていたのですが、「地下アイドル」になればタダで歌えると友だちに聞いてライブハウスで歌っていたら、プロデューサーにスカウトされたんです。芸能の仕事の一つとしてグラビアアイドルをやってみたら、おもしろかったし売れたんですね。そこから昼はエステティシャン、夜は歌舞伎町のクラブで働いていたのですが、新型コロナウイルスの流行で全部仕事がなくなってしまい、いったん実家のある宮崎に戻ってきたのが2020年の7月です。日南酒造会館のバイトの面接を受けたら、そこを事業承継したLocalLocal株式会社の社員になることになって。
杉本 会社に入ってからはどうでしたか?
チューさん。 グラビアアイドルとか革職人しかやったことなかったから最初は何ができるかわからなかったです。だから「自分で役割をつくるしかない」と思って。グラビアアイドル時代にニコ生とかYoutubeとかの配信をやっていたので、キャラクターを作ってSNSで発信する企画をしたら通って、ねずみの被り物をして「焼酎のチューさん。」に自分がなりました。
役割は、ないなら作る。キャラクターは、自分で作る。
杉本 お二人とも生命力の塊ですね…! 自分の役割を客観的に見ているし、自分で役割を作っちゃう。
チューさん。 家が貧乏だったから、「自分で稼がないと」という精神はありますね。あと、自分に自信がないので「自分はこういう人」という理想をまず作って、しがみつきたい。そっちのほうが楽なんです。
たいぴーさん あー、すごくわかる。
杉本 移住を受け入れる側も、移住する人のキャラやできることがわかったほうが、ポジションを作ってあげやすいのではないでしょうか?
たいぴーさん それは目的によりますよね。目的が「地域になじむ」だったらいらないかも。キャラ立ったら悪目立ちするので。自分はビジネスなので、知名度を上げると売上に結びつくから、戦略でいちごの時期にあわせて髪染めています。
チューさん。 「焼酎のチューさん。」というキャラクターを作ったのも「お客様が焼酎を買いに来てくれるかな」「メディアが取り上げてくれるかな」というねらいで。ここでは、目立ってなんぼだと思っています。妙に隠したりしないで、自分の経歴のどこが目立つかを考えて自分を出して、かつ、誰にでもわかりやすいキャラがあったほうがなじめると思ったの。これだけ目立つとぜったい悪いことできないけど、それは覚悟して(笑) それくらい追い込んだほうがいいな、と。
杉本 ふたりとも追い込み型ですね。
お二人 そう! それくらいのほうがおもしろいことができますよね〜。
杉本 得たいものを得るためには必死にならないと、という姿勢は共感します。
「自分」と対話し、変化を楽しむ今とこれから。
杉本 チューさん。は、日南に帰ってきてどうですか?
チューさん。 今の仕事が、だんだん楽しくなってきたんです。これまでとまったくちがうジャンルだからかなぁ。お酒の在庫数えたりレジ打ちしたりと地味なんですけど、達成感があるんですよ。お客さんや蔵元さんもやさしいし。その時その時の自分を楽しみたいから、昔に戻ろうとは思っていないです。
杉本 この先はわからないけど、今を楽しんでいらっしゃるんですね。
チューさん。 いつも「現状をどう楽しめるか」しか考えていないです。仕事で「焼酎のチューさん。」になったり、蔵元さんに会ったり、それまで興味がなかった焼酎も「え?おいしい!」と思ったり、自分が変わる楽しさがあります。「ここは田舎だなぁ、◯◯ができないなぁ」とぼーっとして生きるよりは、「楽しい!」と感じながら生きたほうがいいから。
杉本 なるほど。
チューさん。 東京よりいなかのほうが、「自分」というものをもって発信していかないとしんどいと思う。娯楽がないですから、「自分が満足することなんだろう」って対話できて、キラキラした楽しさを自分で生み出せる人じゃないと。
たいぴーさん たしかにね。
杉本 東京だと消費することで時間をつぶせるけど、こちらではそうはいかないですもんね。ほかの地域のキーパーソンからも、地方にいくと自分との対話の時間が増え、自分の芯が定まってくるという話もありました。
チューさん。 そうですね。日南に帰ってきて、自分と対話する時間が増えた。自分と向き合って対話して追い込むと楽しいんです。
たいぴーさん すごくわかります。
杉本 これからやりたいことはどんなことですか?
チューさん。 自分との対話はもう十分にできているから、次はほかの人や会社をどれだけよくするか。そう考えていると、秘書検定をとりたいって夢ができました。名刺の渡し方もホステスの時の渡し方しか知らなくて…(笑) 興味があることは完璧をめざしたいので、ビジネスマナーを身に着けたほうがいいな、と。
杉本 チューさん。は「人生起業家」と呼びたいほどアントレプレナーシップ精神で満ちていますよね。今の状況に全力で答えつつ、これからのこともプランニングしているんですか?
チューさん。そうですね。東京で自分のお店を出したくて、その構想は練っているので、時期を待ちつつ。
杉本 たいぴーさんはいかがでしょう。
たいぴーさん ビジネスとしては、いちご狩りをしながら写真を残せるサービスをはじめていて、今後はいちごだけじゃない果物の横展開をしていきたいです。あとは来年、山を買うので、そこを九州一の観光農園にするために挑戦します!
杉本 日南がこうなったらいいな、というビジョンはありますか?
たいぴーさん 日南は好きだし、助けられています。よくしてくれる人がたくさんいて、家財道具もトラックも、農業機械ももらいました。日南のために、みたいに「◯◯のため」っていうのはきれいごとなので、まずは自分のやりたいことをがんばってやる。その結果、日南のためになる、というのが本筋だと思います。
チューさん。 そうだよね。
たいぴーさん やりたいことをやれる土壌を、日南に作っていくことは大事ですね。
杉本 「地域のために!」とがんばる起業家さんは多いけど、自社がうまくいってはじめて地域のためになりますもんね。
(Text・写真 渡邊めぐみ)
※この記事は2020年夏ごろの取材記事となります。