Journal

「豊かさ」を見つめ生きかたを探る九州旅・鹿児島編。薩摩志士のバトンを受け継ぐまちづくり?!志ある人に共鳴し、鹿児島の明日をともに描く。

Writing / Photo
meguri
「豊かさ」を見つめ生きかたを探る九州旅・鹿児島編。薩摩志士のバトンを受け継ぐまちづくり?!志ある人に共鳴し、鹿児島の明日をともに描く。

みなさん、こんにちは。杉本綾弓(すぎもと・あゆみ)です。「ないなら、つくる」をコンセプトに、あったらいいなと思う働き方をつくるmeguriという会社を経営している一児の母です。この連載は、新型コロナウイルス流行を「生き方を見直す機会」ととらえ九州を旅する企画です。東京出身、東京でビジネスをしてきた私が、九州各地のキーパーソンにその土地の魅力や地域との関わり方を伺いながら、「本当の豊かさとは何か」を見つめます。

福岡県の門司港からスタートしたこの旅は、熊本県南阿蘇村、大分県佐伯(さいき)市とまわり、鹿児島市へやってきました

連載開始時に4歳だった娘は5歳に。

お話をうかがったのは、いずれも鹿児島出身で東京や福岡からUターンし、まちづくりのプレイヤーとして活躍する3名です。

須部貴之(すべ・たかゆき) 株式会社KISYABAREE 代表取締役。騎射場のきさき市 代表。東京、福岡で勤務したのち、2013年6月、17年ぶりに鹿児島へUターン。人口減少問題や地域コミュニティ衰退などの社会課題に危機感を感じ地域活動に興味を持つ。現在は家業の不動産業をしながら「騎射場のきさき市」という約1万人が参加する地域イベントを主宰。2019年4月、地域開発と人材育成を軸にこれからの地域の場を支える株式会社KISYABAREE(キシャバリー)を設立する。(写真左から二番目)

白水 梨恵(しらみず・りえ)1987年、鹿児島生まれ。大学時代に大分県別府市でまちづくり活動に関わる。卒業後はIT企業にて全国の特産品EC販売・商品開発に従事。その後、社会起業支援や人材育成を行うNPO法人ETIC.にてコーディネーターを経験。2014年に鹿児島へUターンし、2019年6月〜Ten-Labへ。霧島市を拠点に地域づくりとライター業を行なっている。ときどき、料理人もする。(写真右から二番目)

髙橋 空雅(たかはし・くうが)1996年、鹿児島市に生まれ、幼少期は天文館で育つ。北九州市立大学に進学し、商店街活性化やリノベーションまちづくりに触れる。2018年に学生団体として「はたおり」を設立し、就活イベント、学生向けの対話の場を企画している。同年にTen-Labに合流し、鹿児島市のシティプロモーションに関わる。2019年から個人事業として開業 (写真一番右)

「いつか鹿児島のために」県外に出て、ますます強くなる想い

杉本 私は東京出身でずっと東京にいたのですが、大震災後に芽生えた「食とエネルギーを自給したい」という想いが新型コロナウイルス流行を機に再燃し、地縁もある九州にいたいと思うようになって、九州の人と土地に出会う旅をしています。まずみなさんの自己紹介をお願いできますか?

梨恵さん はい。私は鹿児島出身ですが、就職で上京しました。東京では、地域の特産物を集めたECサイトを運営していたのですが、できるだけ安く買って高く売るやりかたに疑問を感じ、「もっと生産者や地域でがんばっている人を応援したい」と思うようになったんですね。

霧島を拠点に活動する、梨恵さん

梨恵さん 社会人1年目が終わるころに大震災が起こり、「いつか鹿児島で地域のことをしたい」という思いもあって会社を辞め、NPO法人ETIC.で2年間修行して鹿児島に帰ってきました。街の総合研究所Ten-Labという団体に入り、霧島市の横川という地区でまちづくりをしています。

空雅さん 鹿児島出身の24歳です。大学で北九州市立大学の地域創生学部がまちづくりをやっていることを知って「おもしろそう」と進学しました。

白いシャツがトレードマークの空雅さん

杉本 どういうきっかけで、まちづくりに興味をもったんですか?

空雅さん 震災後に入った高校のサッカー部の先輩がまちづくりをしたいと話していたんです。まちづくりって公務員がやるものというイメージだったのですが、自分にもできるんだと知り、興味をかられました。

商店街での実習の様子。最前列右が空雅さん。
商店街での実習の様子。最前列右が空雅さん。

空雅さん 大学では、実習で商店街の方たちとハロウィンイベントなどの企画をしていました。だんだん、こういうことを故郷の鹿児島でやりたいなと思いはじめ、大学3年ごろから福岡に住みつつ鹿児島で月2、3回イベントをするように。4年になるタイミングで、鹿児島の人たちともっとつながりたいと休学して、残りの学生生活を鹿児島で過ごすことにして。その頃、僕もTen-labに誘われて、今に至ります。

杉本 今はどんなことをしているんですか? 空雅さん 「Play City Days」という、鹿児島市民が鹿児島を楽しみ尽くすというシティプロモーション戦略事業を担当させてもらいながら、個人で立ち上げた「はたおり」という団体で就活情報誌「material」を作ったりオンライン合同説明会をしたりしています。若者の選択肢を増やしたり視野を広げたりすることがテーマです

空雅さんが学生団体として立ち上げた「はたおり」でつくっている情報冊子material

杉本 梨恵さんも、空雅さんも、「鹿児島にいつか帰る」という思いが自然にあったんですね。

空雅さん そうですね。大学入試の自己推薦文が「まちの課題と解決するアイディア」というテーマで、鹿児島を取り上げたので「いつか帰る」と自然に思っていました。

杉本 24歳という若さで実際にやっているのがすごいです。

「できることがいろいろあるじゃないか!」まちの見方が変わった

杉本 須部さんはどうでしょう?

鹿児島・騎射場(きしゃば)にある須部さんのオフィスでお話をうかがいました。

須部さん 地元が鹿児島の騎射場(きしゃば)です。大学で不動産や都市計画、まちづくりを学んで、東京や福岡で不動産関係の仕事をして2013年に鹿児島に帰ってきました。

実家の不動産管理会社を継ぐために35の時に帰ってきたんですが、まちづくりをする気はなかったんですよ。ただ、17年ぶりに帰ってきたら空き店舗が増えて、町がさびしくなっていた。そこで「何かできることはないか」と考えていたところ、知り合いから紹介があってリノベ−ションスクールに行くことにしました。

リノベーションスクールの様子。本気で向かい合った日々だったそう

そこで現場視察をしながら学んだ「イベントをしながらつながりを作り、空き店舗に店をいれていく」という手法が、ここ騎射場でもできるのではないかと思いつきました。商店街の会長さんは知っている人だったので、「イベントをしたい」と打診したら、「いいよ」と言ってもらえて。30箇所くらい軒先や駐車場を借りて出店者を募って、2015年から「騎射場のきさき市」というイベントをしはじめました。

騎射場のきさき市のようす

未来の地域づくりの担い手も育てていかなくちゃということで、去年地域づくりの会社、株式会社KISYABAREE(キシャバリー)を立ち上げました。

杉本 最初はまちづくりする気がなかったとおっしゃっていましたが、リノベ−ションスクールに行ってみて変わったんですか?

須部さん 視点が変わりました。「このまちは、どうすればもっとおもしろくなるか」と考えるようになって。鹿児島市には大学生も留学生もいて、可能性がすごくある。それなのに全然人がつながってないし、おもしろくない。もっとやれることがあるはず…と可能性が見えるようになりました。

それ以前は、空き店舗が多いけどどうしたらいいかがわからなかった。リノベ−ションスクールに通ったあとは、「できることいろいろあるじゃないか!」と思って動き出して。帰ってきた当初は7,8軒あいていた店舗も、今はほぼ埋まりました。

住環境が整っている鹿児島。銭湯でミーティングも?!

杉本 みなさん全員、鹿児島が地元なんですね。鹿児島のよさはどんなところに感じますか?

須部さん 家を継ぐために戻ってきたんですが、住んでみると暮らしやすい。あと、サイズ感がちょうどよくて、人とつながりながら仕事をしていける。テレビ局とか県庁職員も関係性が近くて、いっしょにやろうよって声がかけられるんですね。

杉本 それはすごい!うらやましいなぁ。

須部さん コミュニティができてくると、やれることの幅が広くなっておもしろくなる。最初は友達3人くらいしかいなくてさびしかったけど(笑)

杉本 わかります。わたしも福岡に来た4月は友達がいなくてさみしくて、必死で知り合いを増やしました。

空雅さん 鹿児島に帰ってきて、オフィス街と遊ぶエリアと行政がきれいにわかれていると感じました。あと桜島が近いっていうのはインパクトがあります。

梨恵さん 住環境で言うと鹿児島市は便利ですよね。あとは、鹿児島のどこに住んでいても、山と海が近いというのがいいところ。30分くらい車で走れば自然が豊かな場所に行けます。自然だと大隅半島は、手つかずの自然や伝統文化が残っています。

杉本 東京だと自然を楽しもうと思うと2時間位かかりますよね。近いのはいいですね。

須部さん リフレッシュする時は霧島の温泉に行きますが、それができないときは銭湯ですね。銭湯も温泉だから、自然の力を感じます。

杉本 銭湯は温泉なんですか?最高ですね!

空雅さん 鹿児島が温泉県って意外と知られていないですよね。高くても400円くらいで入れますよ。

須部さん 「銭湯ミーティング」が周りで流行っています。みんな忙しいけど、飯か風呂は必ず時間をとるはずだから、銭湯に集合してサウナで話す(笑)。ロビーでコーヒー牛乳のみながら「まとめるとさぁ…」って。これが鹿児島のいいところ。

打ち合わせがてらよく行くという錦湯(温泉銭湯)。

梨恵さん 男の人はサウナで話してますよね。

杉本 体にもいいし、サウナミーティングよさそう!

コミュニティに入るこつは「仲間」と「志」

杉本 コミュニティへの入りやすさはどうでしょう?

須部さん この辺は多様性がありますね。外国籍の方も多いですし。人間相関図はだいたい自分の頭に入っているので、「あの人とまだ会ってないの?会ったほうがいいよ!」みたいに、地元の人と移住者をつなげています。逆に、地元出身の人だけでつるむことは少ないかも。

梨恵さん 鹿児島でまちづくりのために動いている人たちは、鹿児島出身かどうかは関係なくつながって動いています。まだまだ少数派なんですが。

空雅さん ぼくも県外の方と地元の人を会わせる飲み会はよくします。一ヶ月鹿児島にいれば2,300人と自然に会うことになりますよ。

杉本 県外の人を受け入れ、地元の人とつないでくれる県内出身の方がいてくれるのは心強い。移住者にとってありがたいですね。

梨恵さん 仲間になると、子どももいていいよって言う人が多いです。うちは3人子どもがいるのですが、よく面倒見てもらっています。

杉本 めちゃくちゃ子育てしやすいですね。

梨恵さん ただ仲間って思われないと難しくて。保守的で同郷意識が強いので、地元の人とつながらないとやりにくいかもしれません。「移住してどういう人となかよくなるか、つながるか」が大事な一歩です。

須部さん 初対面の人とは、つながりを確認するために、「誰々さん知っているよ」という会話の儀式があるんです。信頼関係を確認し合うんですね。

杉本 だから、誰とつながるかが大事なんだ。

須部さん あとは目的がはっきりしていると手を差し伸べやすいよね。やりたいことをどんどん言ったほうがいい。

梨恵さん 「困っている人を助けたい」というマインドが鹿児島の人は強いので、やりたいことは言ったもの勝ちですよ。せっかく仲間になったら一緒になにかやりたいし。例えば、「アートでまちづくりしたい」という子育て中のママさんがいらっしゃって、グラフィックレコーディングのことを紹介してみたら早速チャレンジしてくれて。それがめちゃくちゃ上手だったんですね。で、私が今進めているまちづくり事業に仕事として関わっていただくことになったんです。こんなふうに、やりたいことを自分から発信すると、どんどん繋がっていく確率が高いのが今の鹿児島かなと思います。逆に、ぼんやり「なかよくなりたい」って言われると困るかも。

須部さん 得意なことや、今取り組んでいることがわかれば「おっ!ちょうどこういう仕事があってさ…」となるんですよ。

空雅さん それは鹿児島ではしょっちゅうありますね(笑)

杉本 なにかやりたい人にとっては、とてもいい環境ですね。

須部さん 巻き込み力がある人がコミュニティ内に多いから、舞台は準備されているよね。

杉本 何年くらいたつとそんなふうに成熟したコミュニティができあがるんでしょうか?

須部さん 「地元で活動する人たち同士をつなげる・ビジョンを共有する・発信する」の3つを丁寧にやれば、まちづくりをはじめて2、3年でいい感じになります。2017年に空雅が帰ってきて、若い層もできはじめています。

空雅さん 帰ってきたときには周りに応援してくれる大人がたくさんいて、めちゃくちゃ活動しやすかったです。

杉本 30分くらいで自然に行けて、住環境が整っていて、コミュニティもいい感じにできあがっているのが鹿児島市内なんですね。梨恵さんが主に活動している霧島の横川はどんな地区ですか?

梨恵さん Ten-labで受けた霧島市の委託事業で、まちづくりの講座のために横川に行ったのが最初のきっかけでしたが、けっこうな山の中で、昔の風習が残っているような地域です。

県内最古の駅があるんですが、保存や活用を行政に頼らず、町の人たちでやっているんです。地元の人たちが十数年かけて、「よそ者を受け入れる体制」とか「自分たちでがんばっていくぞ」という意識を耕してきた地域です。私はその駅の保存会の人たちと仲良くなったのがきっかけで、今は築89年の空き家を借りて古民家改修をしているのですが、そこで春にカフェ&ゲストハウスの開業を目指しています。

鹿児島で、おなじ夢を見る。サムライたちの「志」とは?

杉本 お三方ともいろんな活動をされていますが、今後はどうしていきたいですか?

須部さん 鹿児島でリーダーシップをとれる人を集めたNPO法人薩摩リーダーシップフォーラムSELFを立ち上げたのですが、今後は行政や企業とグランドビジョンを作ろうとしています。行政が5年計画を立てますが、政治が変わると計画も変わるので、民間でビジョンを作れるようにしたくて。「鹿児島で、同じ夢をみる」ということが自分たちの世代でできたらいいなと思っています。そして若い世代も巻き込んで、次世代までつながっていくようにしたいです。

杉本 みなさんが自然に鹿児島を大事に思っているのはすごいことですね。共鳴しあう魂のようなものを感じます。そこにはなにかあるんでしょうか?

須部さん そうですね。「薩摩志士」みたいな意識はありますね。幕末に薩摩志士たちが何をしたかを知る機会は多いし、西郷隆盛さんも自分たちの「先輩」という感覚なんです。そして、桜島の景色は先人たちが見ていた景色は変わっていない。だから彼らとつながっている、バトンを引き継いでいるという意識があります。

空雅さん いたるところに志士たちの銅像がありますしね。

杉本 歴史的なものを感じやすいんですね。梨恵さんがおっしゃっていた「困っている人を助ける」というマインドにもつながっているのかな。志がある人に共鳴するというか。

空雅さん 志という言葉が出てきたので言うと、ぼくは「志」について考える人が増えたらいいなと思っています。自分は大学生のときからまちづくりの現場に放り込まれて、何をしたいのかを考えさせられる機会がありましたが、ふつうに大学生をしていたら、志について考える機会がないと思うんです。大学生や若い人がまちとふれあい、志を考える機会をつくっていきたいです。

梨恵さん わたしはとにかく鹿児島の田舎にどんどん入っていきたいです。外からの視点でみると宝物がごろごろあるのに、田舎に行けば行くほど、そこにずっと住んでいる人がまちの可能性を見なくなっているように感じます。横川は鹿児島の中でもとくに高齢化していて、どんどん人が減っていく。そんなまちが変わったら、ぜったいほかの町にとってもヒントになるので、横川で「自分はもう70歳だけど、何かやってみようかな」と思う人を増やしていきたいと思います。

杉本 みなさん、アツいですね!フォーカスが「人」に向いていますね。

須部さん やっぱりサムライが多くいた地域なので。DNAかな。

杉本 みんなサムライが胸にいますよね。

(Text・写真 渡邊めぐみ)

※この記事は2020年夏ごろの取材記事となります。