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【meguri10周年連載対談session3】自分も他者も大事にして、よく生きるために。chamaさん×宿原寿美子さん

Writing
Emiko Hida
Photo
Mizutani Ayako
【meguri10周年連載対談session3】自分も他者も大事にして、よく生きるために。chamaさん×宿原寿美子さん

2015年、「meguri(めぐり)」という名前の会社を立ち上げました。
心や体を/人から人へ/地域や社会に/未来へ向けて。さまざまな形で循環していく想いや物事を大事にする会社にしたい。言葉にするにはまだ漠然としていたけれど、でもたしかな想いから、meguriは始まりました。

そんなmeguriも、めぐりめぐって10周年。たくさんの人とめぐりあい、想いをめぐらせてきました。この節目に、meguriのパーパスを体現されているみなさまに、それぞれが大事にしている「めぐり」について聞いてみたいと思います。

第3回でお届けするのは、ヨガ講師のchamaさんと死化粧師の宿原寿美子さんの対談です。会うのは初めてのおふたりでしたが、家族のこと、生きること死ぬこと、心と体のことなど、共通する想いがたくさんめぐる時間になりました。

chama(チャマ)さん
ヨガ講師。TOKYOYOGA(南青山,渋谷)代表
レゲエクラブ経営、TV-CM制作などを経て、父親の介護を機会にヨガ講師となる。インドや欧米でさまざまなヨガスタイルや身体技法、トラウマ療法のトレーニングや人体解剖実習などを受講。2002年『ヨガで世界を明るくする』をコンセプトにTOKYOYOGAを創設。国内外でヨガや身体に関するワークショップや養成講座を開講。またヨガコミュニティの支援を目的としたフリーペーパー発行や、被災地支援ボランティア運営、アパレル展開など多彩なプロダクトを展開。

宿原寿美子(じゅくはら・すみこ)さん
株式会社キュア・エッセンス代表
神奈川県横浜市生まれ。葬儀社を営む家に生まれ育ち大手アパレルや化粧品などを扱う流通業界に就職。退職後、日本ヒューマンセレモニー専門学校に社会人入学し卒業後、大手互助会に就職。以後、葬祭業全般に携わる。専門学校の講師を経て、米国テキサス州立法医学顔復元マスターコース修了認定。同じく米国にて法医学アート2次元顔面再建マスターコース修了認定。現在は、死化粧師、Restorative Artist、復元師として活動。医療・介護の現場におけるエンゼルケアのあり方についても提言を続けている。厚生労働省認定1級葬祭ディレクター。

ヨガ講師と死化粧師。それぞれの活動の原点

――まずは自己紹介をお願いします。

chama:僕はヨガ講師として、表参道と渋谷でスタジオを運営しています。「ヨガっていいよね」「もっと広まったらいいな」という気持ちが根本にあり、インストラクターの育成やフリーペーパーの発行、コミュニティづくりも行っています。ヨガを仕事にして20年強になりますね。

宿原:私は亡くなった方のお体を整えたり、お化粧を施したりする仕事をしています。「亡くなった方のケアができる方を増やしたい」という想いから、技術や作法を人に教えることもしています。chamaさんと同じく、20年ほどこの仕事を続けています。

――活動を始めた背景を教えてください。

chama:2000年に東南アジアを旅していてアシュタンガヨガと出会ったのですが、ちょうどその頃父が倒れ、介護漬けの日々が始まったんです。父は安静が必要なときも勝手に動き回ってしまうのでずっと見張っていなくちゃいけなかったし、「酒もタバコも好き放題してきたせいで病気になったんだ」とか「これからの生活どうしよう」とか、過去への憤りや未来への不安で頭がいっぱいになり、心身ともに追い詰められました。

そうしたなか、アシュタンガヨガをしている時間だけは心も体も介護から距離を置くことができて、すごく救われたんです。続けていくうちに、体という「いま・ここ」にあるものと出会う習慣ができてきて、「ヨガってよくデザインされたものなんだな」と実感しました。ヨガは心身を回復させてくれるだけじゃなく、生きやすくもしてくれる。もしかしたら、父もヨガのようなものと出会っていたら違っていたかもしれない。「これはもっと広まってほしいな」と思い、ヨガを仕事にすることにしました。

宿原:私は実家が葬儀社で、子どもの頃から祖父や親が働く姿を見て育ちました。親からは「継がなくていい」と言われていて、一旦は別の仕事に就いたのですが、やっぱり心のどこかで気になっていたんです。葬祭の専門家を養成する学校に社会人入学し、大手互助会に入社しました。

ただ、そこは実家の葬儀社とはご遺体やご遺族との向き合い方が異なっていて、違和感を覚えることが多々ありまして。ご遺族の気持ちに沿った形で最期のお化粧をしたいという気持ちが強くなり、死化粧師の道を進むことになりました。

chama:なぜ死化粧が大事だと思われたのですか?

宿原:死化粧というと単純に故人のお顔を綺麗にすることが目的だと想像されるかもしれませんが、私はご遺族の方と一緒にお顔を整えていく、そのプロセスが大事なのだと思っています。

家族にもいろいろな形がありますし、いろいろな関係性や歴史があります。介護で疲れ切ってしまった方もいれば、「もっとこうしておけば」と後悔の念に苛まれる方もいらっしゃいます。でも、故人と触れ合いお顔を整えることで、「最期に綺麗にしてあげられた」と気持ちの整理がついたり、「こんなこともあったな」といい思い出が蘇ってきたりするのです。

もともと葬儀は家族が中心となって行うもので、その過程がグリーフケアにもつながっていたのではないでしょうか。ある意味では、葬儀社がそうした機会を奪ってしまったのかもしれません。死化粧を通して、ご遺族が最期に故人と向き合い、穏やかに送り出す時間を提供できたらと思っています。

chama:実は、先週母の四十九日を迎えたんです。母は85歳頃から老いが進み、92歳で亡くなりました。父は「治療はつらいし、俺はもうやり切ったから死なせてくれ」と言っていたのですが、母は真逆。生きる意欲が半端なくて、最期までずっと「どうやって生き延びるか」を考えていました。

ただ、やっぱり痛みや苦しみは出てくるわけです。息子としては「こんな苦しみの中で生き続けることが本当にいいことなのだろうか」という葛藤を覚えましたが、そういう姿を長年間近で見せてもらったから、「やれることはやった」「あれ以上はできなかった」という納得感がありました。でも、姉はあまりそういう姿を見てこなかったから、急に別れの瞬間が来たと感じたようで、すごく狼狽していて。

だから、宿原さんの話を聞いていて、亡くなる前後に寄り添う時間があったかどうかって、残された家族のその後に大きく影響してくるんだろうな、と思いました。

宿原:まさにそうなんです。家族が突然亡くなったり、その死に事件性が絡んでいたりすると、ちゃんと悲しんだり嘆いたりすることができず、回復が遅れることが少なくありません。でも、残された方はその後も生きていかなくちゃいけない。ご遺族が立ち直りその後の人生を生きていくために、死化粧を通して故人とじっくり向き合う時間や、chamaさんがおっしゃった「いま・ここ」に立ち返る時間が大きな助けになるのではないかと思っています。

chama:宿原さんご自身は、身近な方を見送った経験はありますか?

宿原:2年前に母が目の前で倒れ、救急搬送されて5日後に亡くなりました。脳死に近い状態で、機械につないで延命を続けるかどうか医師から選択を迫られて……母は前々から「もしものときは延命しないで」と言っていたのですが、私自身がそれを言葉にして命を終わらせるのは、すごく勇気が要りました。でも、実は3年前にも大親友の死に立ち会っていまして。そのときに人がどういうふうに亡くなっていくのか、死を受容していくのかを見させてもらっていたので、少しだけ準備ができていたかもしれません。

私にとってこの10年は、そうした大きな別離を経験する時間でした。だから、meguriさんの10周年のタイミングでお声かけいただいて、こういう話ができることが感慨深くて……ちょうど先日、東日本大震災後に一緒に岩手で活動した友人と10年ぶりに再会してこれまでのことを振り返っていたんです。そういう「めぐり」のタイミングなのかもしれませんね。

chama:被災地ではどんな活動をされていたのですか?

宿原:最初はご遺体の処置をするため安置所へ入ったのですが、家族を失った方やすさまじい経験をして助かった方が避難所というひとつの空間で生活している様子を見て、「この人たちはこれからここで生きていかなくちゃいけないんだ」「私はそのためのサポートをしたい」と思い、避難所で支援活動をするようになりました。

それともうひとつ、印象的だったことがあります。何度か避難所に通うなかで、「初期の頃に見つかった遺体は綺麗にしてもらえていたのに、ようやく見つかった自分の家族は何もしてもらえなかった」という声が聞こえてきたんです。避難所も混乱していたし、人手も圧倒的に不足していて、いいお別れができなかったのかもしれません。その経験から、「葬儀関係者だけじゃなく、もっとたくさんの人が亡くなった方のケアをできるようになった方がいいんじゃないか」と思い、講習に力を入れるようになりました。


被災地で行ったボランティアマッサージ(宿原さん提供)

chama:僕も震災の半年後に宮城に入り、仮設住宅でマッサージを提供したり、運動を提案したりしていました。最初は自分たちが行っていたけど、少しずつ現地で運動指導ができる方々をサポートして、僕らは東京で支援金を集めて現地に送るような活動にシフトしていきましたね。トラウマケアを含めた運動指導も勉強していたので、そういったものも提供していて。宿原さんの活動と重なるところがあるな、と感じました。


気仙沼の仮設住宅にヨガインストラクター・ボディワーカー・セラピストが集合 (chamaさん提供)

自分を大事にすることで、他者を大事にできる

――おふたりが「めぐらせたいもの」について教えてください。

chama:ヨガを続けてきて、体が整うと心も整うし、体が癒されると心も癒されると実感しています。でも、これはヨガに限った話ではありません。西洋的なボディワークやソマティックなどいろいろなアプローチがあって、具体的な手法は違うものの、ベースにあるものは共通している気がします。それらがもっと相互に連携したり補完し合ったりしたら、より多くの人によりよい形で届けられるんじゃないかな。僕はいま、その循環に関わりたいと思っています。

宿原:たくさんの方に教えてこられたと思いますが、やっぱりみなさん、体が整うにつれて心や暮らしも整っていくものですか?

chama:はい。ヨガをするときは、自分の体の感覚と向き合うことになります。思い描いた形になるよう体を動かし安定させる。自分の感覚なので、人に教えてもらうのではなく自分で探っていくしかない。体と向き合う過程で、「答えは自分の中にある」ことを実感していくんです。そして、ヨガをしている人たちは、人と関係を築くときも根底にそういうバランス感覚を持っているから、心地よいコミュニティが生まれやすい。ヨガの思想やメソッドとコミュニティがうまく重なり合うことで、人は救われたり、回復したり、成長したりするんじゃないかな。

もっと言うと、ヨガのベースには、「自分も他者も傷つけない」という思想があるんですよ。でも、「自分を傷つけない」って意外と難しい。たとえば僕は母の介護をしているとき、仕事との両立がすごく大変で、自分のことはおろそかになりがちでした。「自分も他者も傷つけない」という思想は、頑張りすぎてしまう現代人にとってひとつの救いになるんじゃないかと思っています。


(chamaさん提供)

宿原:本当にそうだと思います。この業界って、体を扱う仕事をしているのに自分の体はおろそかにしている人が多いんです。私も、日々の忙しさや人間関係における葛藤などが重なってコロナ禍で大きく体調を崩し、ようやく自分の心身に向き合いはじめました。そういう機会がないと、自分が無理していることになかなか気づけないんですよね。最近は、葬儀や医療に関連する人に向けて講義をするときに「自分自身を大事にケアできていないと、他者に対しても十分なケアはできない」と口癖のように伝えています。

私の「めぐらせたいもの」もいまの話に少し関連しているかもしれません。この数年、知人の家族や関わっている会社のスタッフなど、周囲で若者の自殺が続いたんです。残された人は「なぜ」というやりきれない想いを抱えて生きていくことになります。何が苦しかったんだろう、どうしてSOSを出せなかったんだろう、と。私もずっと考えています。もしかしたら、chamaさんがおっしゃるようなコミュニティや、「ここに来ればなんでも相談できる」という場があったら違っていたのかもしれません。

「そういった問題に対して、葬儀に関わる仕事をしている人に何ができるの?」と思うかもしれません。でも、死に関わる仕事をしているからこそ、生きるということを大事にしたいんです。祖父はよく「葬儀屋は地域のなんでも屋だ」と話していて、お祭りの神輿を直したり、困りごとの相談に乗ったりしていました。最近、地域での役割を見直し、場を開くお寺が増えていますが、葬儀場も似たようなことができるのではないでしょうか。

だから、私はいま葬儀社に対して「亡くなったときだけではなく、生きているときから頼れる存在になりませんか、その場所を提供しませんか」と提案していて、実際に葬儀場を使って介護や死後手続きに関する講座を開いたり、家族に介護が必要になった方の相談を受けてケアマネージャーにつないだり、と動いてくださる方も少しずつ増えてきました。そういった、人が生きるための活動をめぐらせていきたいと思っています。

――活動をするうえで大切にしていることはありますか?

chama:僕が人にヨガを教えるときに大切にしているのは、「自分の心地よさに出会ってもらう」ことです。「これまでの人生で自分の心地よさを意識したことなんてなかった」という人は多いけど、先ほど宿原さんもおっしゃっていたように、自分の心地よさに出会っていないと、他者の心地よさを尊重することも難しいと思うんです。

インドでは、自分を幸福にしない要素はヘドロのような質感で勝手にまとわりついてくるけど、幸福にする要素は羽毛のように軽いからそっと自分の方に引き寄せないといけないと言われています。自分の中にある快に気づいて、大事に感じてもらいたい。日本人は特に、「いかに正しいポーズを取るか」といった形を重視しがちです。だから、「いまどう感じているの?」「本当はいまどうしたいの?」と問いかけるようにしています。

宿原:私も講習のとき、「ご自身がいま感じたことを大事にしてご遺体やご家族に向き合ってください」とお伝えしています。知識や技術はもちろん重要ですが、気持ちが共鳴し合うとご遺族も安心できるはず。その日初めて顔を合わせたご遺族に対していきなり「それでは始めさせていただきます」と型通りに作業を進めても、お互いに緊張はほぐれず、かしこまった時間になってしまいます。ご遺族の方にゆったりとした感覚で故人と向き合っていただくためには、自分自身がリラックスしていることが必要だと思っています。


台湾の方に向けた講習の様子(宿原さん提供)

よりよい「めぐり」が生まれる仕組みをつくり、次の世代へ渡す

――最後に、これからそれぞれの大切なものをどうめぐらせていきたいか、教えてください。

chama:途中で少し話しましたが、体を通して心を整えるアプローチは色々あるけれど、それぞれ別々に発展していて、横のつながりや連携はない状態です。だから、一般の人には自分に合うのはどれなのかわかりづらいんじゃないかと思います。

この例えが適切かはわからないけど、僕は母が亡くなったとき、葬儀についてよくわからないまますぐにいろいろなことを決めないといけませんでした。もし事前に知識があったら、もっと自分たちに合ったより良いやり方を選べたかもしれません。

体に関するアプローチも、もっと全体像がわかるように体系的にまとまっていて、希望者はそれぞれを体験して自分に合ったものを選び取れるようになっているといいんじゃないかと思い、今年からヨガに限らずさまざまな体に対するアプローチを網羅的に学んでもらえる講座を開講しました。いろいろなメソッドやアプローチを知って、より学びを深めていってもらえたらと思っています。

宿原:私の属する業界も、自分のやり方にこだわる方が多いんです。誰かに師事したらその先生が教えていること以外はやっちゃダメ、という不文律のようなものもあります。でも、それだと見える世界はどうしても限られてしまう。もっと幅広くいろいろな人のやり方や考え方を知り、柔軟に取り入れることが大事なのではないか、とずっと思っています。

これまでそういうことをしようとすると周囲から睨まれることもありましたたが、続けることで少しずつ風向きは変わってきています。次の世代にバトンを渡すことを考える時期にも来ているので、なんとかそういう「めぐり」が生まれる形をつくって、渡していきたいと考えています。



――おふたりとも、長年目の前の人の「めぐり」を考えつづけてきて、いまは業界全体の大きな「めぐり」を考えていらっしゃるのですね。

chama:お互い20年ほど前に事業を始め、似た軌跡を辿ってきて、近いことを考えているな、と感じました。共感で胸がいっぱいです。これから何か一緒にできるかもしれませんね。僕がヨガ哲学の講義で生や死について話すよりも、宿原さんにご自身の仕事を通した実感を語ってもらったほうが響くと思いますし。

宿原:私もchamaさんのお話を聞いていて、私自身が葬祭業や医療関係者に向けて「自分を大事にしましょう」と言うより、chamaさんから具体的に体や心の整え方を伝えてもらうほうが効果的だろうな、と思いました。本当に、今日この時間がすごくいい「めぐり」だったと感じています。ありがとうございました。

(対談ここまで)

それぞれが大切にしてきたもの、これからも大切にしつづけたいものに触れていただけたでしょうか。この記事を読んでくださったみなさんも、問いをめぐらせていただけたら嬉しいです。

「あなたがめぐらせたいものはなんですか?」

「それをどうめぐらせていきたいですか?」

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